土曜日, 3月 30, 2019

2019.03.30『生きろ!ミュージシャン』『優れるには』by木島タロー

2019.03.30『生きろ!ミュージシャン』『優れるには』by木島タロー

友人のミュージシャン木島タロー君の日記に、とてもとても共感する部分がありましたので、ご本人了解のもと、引用させていただきました。

『生きろ!ミュージシャン』2009.1.29昨年末、とあるコンサートのリハーサル帰り。そのコンサートで一緒に演奏するベーシストと駅ではちあわせた。

彼はベースを抱えてホームのベンチに座っていた。彼に会うのは3度目で、あまり多くの会話をした事はなかった。

僕と同い年だと後で分かったが、ミュージシャンと言うのはたいがい年よりやや若く見える。彼も20代後半に見えるが、この日は無精髭をはやし、肩は落ち、ソフトケース入りのベースを抱える彼の姿は疲れて見えた。

あ、お疲れ様です、と僕。お疲れ様です、と彼。

他にどんな演奏しているんですか、から、どんな生活をしているかの話になる。

何のお仕事しているんですかと聞かれ、一応これ(音楽)が仕事です、と僕は答える。

そうですか、いいですね。僕はニートです。バイトもしていません。先日までしていたベースの講師の仕事もなくなりました。
と、ベンチの僕の隣に座る彼は、視線を前に向けたまま言う。


話 は飛ぶが、学生の時、僕は宗教学の教授が好きだった。定年間際の男性で、すらっと背は高く、白髪でなんとなく筑紫哲也を思い起こさせる髪型で、大きな眼鏡 をかけ、耳に生来の障害があるため補聴器を付けていた。カトリックの神父だそうだが宗教を差別せず、知性とユーモアと、にじみ出る自然な威厳があった。
ある日、この教授が僕の夢に出て来た。僕と教授が一緒に街を歩いていると、ギターを抱えた汚い姿をした青年が道にうずくまっている。教授は財布からお札を取り出すと、彼に差し出した。まわりには他にもホームレス達がいて、この教授の行動を見て、寄って来て言うのだ。
「どうしてそいつにだけ金をやるんだ。そいつも俺たちも変わらないじゃないか!」
すると教授は答える。
「いや、彼は君たちとは違う。まだギターを売っていない。」


電車に乗って、僕の隣に座ったベーシストは、「年が越せるかどうか。」とつぶやくように言う。年が越せるか、とは古風な言い方だが、哀愁を誘う。

し かし、僕は彼を見て、なんと誇らしいミュージシャンだろう、と思うのだ。何故彼はこの年にしてニートなのか。それは、高卒か大卒の時に就職していく友人達 を尻目に、ベースを弾き続けたからだ。自分の情熱と未来を信じて、他の道を選ぶ事をしなかったからこそ、今日彼は仕事がないと悩むのだ。

これこそが誇るべきミュージシャンの姿だ、と僕は思う。

10年自分の才能の有無を計り続けた悩める僕の後輩がSuper Flyのツアーバンドに登用されたように。6年トラブルだけに生きているように見えた僕の一番弟子が西条秀樹のバックコーラスを勤めるまでになったように。

途中で辞めない者だけがたどり着ける場所がある。それは、必ずある。それに、ミュージシャンはどん底まで落ちると、必ずちょっとゲインするのだ。

生きろ!ミュージシャン。
穴の空いたコートを着て、くたびれたスニーカーを履いて、10億稼いだという同い年のIT社長を横目に。
その道を選ばなかった誰よりも、誇り高く。

『優れるには』2009.2.11
優れたアーティスト、例えばミュージシャンになるには、段階がある。
技術の話ではなく、技術の学びが始まるよりずっと前の話だ。

ある優れたミュージシャンは、優れたミュージシャンになる事を夢見て、追いかけて、スキルを身につける。
夢見て追いかけたからこそ、そのスキルを身につけたのだと言える。
しかし、スキルを充分に上達させる程に夢を追いかけるには、その過程を毎日楽しむ事が出来る程の情熱がなくてはならない。
(-多くの人は自分の夢に自信が持てず、情熱的な憧れまで持てない。)

しかし、情熱をもてる程の夢を、まず見つけなければならない。
(-多くの人は、自分が何をやりたいかを見つけられない)

そして、その夢を見つけるには、まず、夢を見つける事に価値があると言う事を知っていなければならない。
(-多くの人は、夢を持つよりも、いい成績をとっていい給料の仕事を見つけ日々の糧を得る事を考える事の方が優先的な価値があると考える。)

ある人は、充分なスキルを身につけた優れた人間とだけ付き合いたいと思う。もしくは、優れた人間と付き合う事の方が自分の人生にとって価値があると考える。そして時に彼らは、私と付き合いたければあなたもスキルを磨いて登って来なさい、と、言う。

でも、夢に自信を持てない人間には、誰かが、それを信じていいのだと言ってやらねばならない。
夢を見つけられない人間には、迷ってもいいのだと言ってやらねばならない。
夢を持つ事の価値を知らない人間には、その事に価値がある事を誰かが知らせてやらねばならない。

夢を追いかけてスキルを身につけた人間を僕は素敵だと思う。
下手でも俺には夢がある、という人間に、僕は勇気づけられる。
私は何をしたいのか分からない、という人間と、僕は会話をしていたいと思う。
夢では生きていけないのではないか、と悩む人間に、僕は笑いかけたいと思う。
それらの全ての人間と、僕はともに生きたいと思う。彼らの全てに、次の一歩を踏み出す権利があるからだ。
そしてまた、その事で僕はある日、充分なスキルを身につけた人間とだけ付き合いたいと考えた人よりも、ずっと多くの、スキルを身につけた人々に囲まれる時が来るだろうとも思うのだ。
決まった誰かだけが通れる扉よりも、全ての人が通る事が出来る扉こそが世界の真理の終点だと僕には思える。
だからだろうか。僕は、自分が人生を費やすクワイアーミュージックという音楽に、この事の答えが眠っているように感じるのだ。
シンガーとリスナーの両方が、まだ不定形の未来に夢を見る事が出来る、そんな音楽に憧れながら、僕は曲を書く。

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